どうもbeergeek.jpのだっちょです。
私事なのですが、ビールをちゃんと飲むようになってからかれこれ15年弱くらいになるでしょうか。毎日楽しくビールと向き合っております。
ビールのことをどうやって覚えたのかと言えばほとんど独学なのですが、ゼロ知識から覚えるというのは流石に無理があるわけです。そこで一冊の本を手に取りました。
知識ゼロからのビール入門
言わずと知れたジャパンビール界のレジェンド藤原ヒロユキさんの本です。
文字嫌いな自分としてはイラスト多めでスッと入り込んできますし官能表現といったちゃんと覚えておくべきビールのポイントなどが書かれている超名盤です。
オススメです!
さておき、その藤原ヒロユキさんがクラフトビールの定義について言及しております。
その記事はコチラ
https://www.jbja.jp/archives/38939
以前僕も長ったらしくクラフトビールの定義の記事を書いたのですが果たしてレジェンドはどのような見解をお持ちなのであろうか。とても気になりました。
記事を見てまず見出しが目に入ってきた。
「美味しいか不味いか。それが問題だ。」
短くまとめられた文章ではあるが、美味しいからクラフトであって不味いからクラフトではないといった浅いことを言っているわけではないようだ。
大手ビール会社の商品の味を評価し、そもそも論として美味しいかどうかが重要な要素なのである。
個人的にはそう読み取った。
当然、美味しいビールは正義であるし、美味しくないビールは敵であったりもします。納得です。
そして次の見出し。
「小規模ならばすべてクラフトビールなのか?」
小規模という理由だけでは不十分な気もするが、少なくとも大規模ブルワリーはクラフトじゃないって…
と思っていたら
大手ビールメーカーが造るビールがすべてクラフトビールではないと言い切れるのか?答えはNO
という一文が目に入った。
個人の意見ではあるけど流石にツッコミを入れたくなってしまった。
文末にはクラフトとは言うに値しないブルワリーも存在するといったところから次の見出しへ続いているのだが…
え?え?だったら美味しい事がクラフトビールの最低条件なの?
ちょっとわからなくなってきた。
じゃあ例えば、現存するクラフトビールブルワリーとされている会社が有名になって売り上げを伸ばして設備を整えて国からも認められる大手メーカーへと発展を遂げたが、味は寸分の狂いもなく昔と同じだったと言うならその会社のビールは一生クラフトビール?
それが是というならば美味しいビールこそクラフトビールだという定義がまかり通ることにもなりかねない。
やっぱり規模感も重要視すべきなのかなと思っている。
世の中には大手メーカーながらとても美味しいビールがあるし、小規模メーカーで不味いビールだってある。
それは誰もが納得すると思うし日本のビール界が抱えるいち問題ではあるが
少なくともそれは定義の話ではなくて個人の感想の話だと感じてしまう。
個人的にはクラフトビールと言われているものの中にもちゃんと不味いビールがあるから困っちゃうわね派です。
クラフトビールが美味しくて独創的であるべきというのは理想的だけど、そうでないならクラフトとは言えない不味いビールはいったいなんと定義し、何と呼んだら良いのでしょう。定義すらするに値しないのであればなぜ醸造免許が下りているのだろう。
ビール上級者の感覚、価値観でこれは駄作だねと評価するものが、ある人にとっては革命的な存在である場合もあって、(美味かろう不味かろう)今まで飲んでいたビールとは違うね!という感覚や発見、そのビールの背景にある売上よりも大事な愛やこだわり、こういった感覚もまたクラフトを定義するにはちょうど良いのかなぁとも思います。
大手メーカーっていうのはそもそも超絶的な技術力で職人が手彫りをしたかのような椅子を大量に造る所なので、そのフェイク手彫り椅子を本物の手彫りであると評価するのは違って、ちゃんと工業生産である上で手彫りよりも良いねぇと評価するのが正しいと個人的には思う。
ビール造りにフェイクも何もないけど全ての職人がブルワリーの規模に関係なくビールへの愛があり、こだわりや思想を持っている以上、あえてクラフトビールを定義するのであればやはり味ではなくて機械的な生産をしているのかどうかとか、ざっくり言うとブルワリーの規模感などで線引きする方がしっくりくるかな。
といったところです。
ヒロユキさんの記事の最後に
定義は言葉遊びにしか過ぎない。五感で味わうべき。
といったとても素晴らしい文言がある。その通り。能書きを垂れる前に美味しいビールと出会って幸せを掴み取ってくれよ君!と言われた気分である。
そうですよね。みんなが思い思いに楽しむのがビールですものね!
じゃあ大手さん!
商品名にクラフトなんてつける安易な言葉遊びもうやめてみませんか?