押してしまいましたか。仕方ないですね。
こんにちは。だっちょです。
beergeek.jpと名乗りブログ運営やら飲み歩きやらをしています。
お知り合いの方はこんにちは。まだ見ぬビアギーク仲間は初めまして!
ってな感じで自分がどういうビール人生を歩んできたかざっくりと紹介してみたいと思います。結構激しい内容もあるのですが自分の人生振り返り用の記事なのでわざわざ公開するまでもないかとは思ったのですがせっかくなのでどうぞ。
2000年?2001年? ビールさんこんにちは。
確か2000年そこいら。一応大学進学した。
大学って地方出身者が多いからいわゆる酒の強いエリア出身の友達の家で強めの酒を飲むなんてことをしてた。今でいうストロングゼロ暴飲学生みたいなやつ。
ビールが嫌いで甘いお酒ばっかり飲んでいたという黒歴史を振り返ると、理由は二つ。
苦いから。そして幼少期、酔って帰ってきた父親があまり好きじゃなかったから。
ごく普通の父がゆえのギャップ。ギャップ萌えならぬギャップ萎え。きっと子供ってそんなもん。
でもバンドやってたから憧れるミュージシャン像として特にビールをガブガブ飲むことに憧れてはいた。
そして縁あってライブハウスで働くようになりそこでビールの飲み方を覚える。
味わうな。流せ!
先輩に喉で味わうという強引な方法を伝授してもらいあら不思議!ビールが美味しいじゃありませんか!
今ではちょっと恥ずかしいストーリーだけどビールが美味しいって思えたあの瞬間は忘れられない。いや、忘れた。
当時お世話になっていたのはスーパードライと本生だっけ?アサヒの赤い缶のやつ。うまかった。
2003年〜2005年 ひたすら飲む期
バイトをしまくった結果、気づけば大学には行かなくなっていた。
学業で知識を培うことより目先のお金が大事だったのかな。若いね。おすすめはしないけど後悔は全くない。むしろこの時期があったからこそその後に繋がったと言っても過言ではない。
夜勤バイトのおかげで日中自由に動けたばかりに、ひどい時では毎日、時には朝から仕事が始まるちょっと前まで飲むこともあった。ひたすら大手ビールを飲んだけど、何を飲んだかなんてあまり気にしてなくて、仲間と酒を飲み交わす=これが大人か!って感じ。
ビールって楽しいな。美味しいな。それだけ。ちょっとだけビールの知識はあったけど素人に産毛が生えたくらいのもの。
ちなみに他の酒は量を飲めないので遠慮。すでに憧れていたビールをガブガブいける体になっていた。
2005年 飛躍と事件
2005年は忘れもしない人生において重要な年だった。
バンドで3週間のヨーロッパツアーに行った。本当に飛んだからかなりの飛躍。
その時に行った8カ国くらいでできる限りのビールを飲み尽くした。とかいうとかっこいいけど、ケータリングとかで用意されていたものとかバーでライブをすることも多かかったのでそこで飲むとかそんな感じ。ビールの旅とは言いにくいけど思い返せばその土地の重要なビールは飲んでいた。
一皮剥けたなと帰国してものの半年。
一皮どころか骨をも砕いて肉が見えるくらいに指を一本剥いてしまった。というか切断した。ぐちゃぐちゃに。先端だけだけど。
酔った挙句の事故。いや、酒好きが酒で起こした事、そして一応ミュージシャンなので周りへの迷惑など考えたら
姉さんこれは事件です。
そんなこんなで禁酒宣言をしておとなしく人生を歩むのであった。
2006年〜2008年 勉強期
もう酒はこりごりだ。しばらく飲むのをやめよう。自身に1年間の禁酒を課した。
色々あって2ヶ月で挫折。すぐさまビールを飲み始める。指はもうない。
しかし事故を起こしてまでビールが好きだと言うわりには知識が乏しいな。そう考えた結果、すぐさまビールの専門書を買い、給料の大半をビールに投資した。
飲んだことがないスタイルのビールがあればとりあえず買い、メモをする。そこでわかった事実。
アメリカのビールがうまい!
多分わかりやすくホッピーだったからだと思うけど、ラベルの面白さとか元々からのアメリカ好きもあって特に美味いと感じたのだと思う。
これはアメリカに行かなくては。バンドで行けるとかあればいいな。と指を咥えていた。
2008年 夢が叶う、ビールインドア脱出
なんと人生で初めて渡米のチャンスが巡ってきた。バンドでフェスに出るために。
こんなことがあっていいのだろうか?
ついにアメリカのビールを!とはいかず。イベントに出るだけのタイトなスケジュールだったので飲んだは飲んだけどベニューでブルームーンを飲んだりしただけ。
しかし初めてのアメリカ。子供の頃から憧れていたアメリカの空気を味わえたのだから本当に良い経験をした。
相場では初渡米ってハワイとかロサンゼルスとかってイメージあるけど我らの初渡米は極悪シティーボルティモアだった。
弾丸スケジュールをこなし最後の最後。メリーランド国際空港内でちょっとこだわりのビールを出しているバーを発見してすぐさまチェックイン。これが実質初の現地でのアメリカンクラフトビール体験となった。のか?
帰国してから3ヶ月。運命的な出会いをする。
高校の後輩であり、現在神田でキャリカーズトーキョーを取り仕切っている白石。という男に出会う。日本酒焼酎エリートであった彼にビールもいいぞと吹き込みついに外に飲み歩くようになる。家での孤独な勉強期が終わった。
2008年〜2010年(〜一応現在も) 外飲み激化期
ついにビアバーデビューをしてからはひたすら美味しいビールを求めてお店を渡り歩く日々。
やっぱりボトルよりも樽から注がれる方が美味しいなって思ってた。鮮度もそうだけど雰囲気とか人とかの影響もある。
パブに出向いては新しいビールの情報なんかを手に入れたり。まるでRPGの世界観。そんな毎日が楽しくて仕方なかった。
同時に、アメリカのビールを現地で飲みたいという欲が出てくる。
2011年 天才が生まれる
ついに。ビールを求めて渡米する。行き先はサンフランシスコ。
世界でトップクラスの評価を得ているRussian River Brewingで年に1度リリースされている全世界のクラフトビールファンが熱望するPliny the youngerというトリプルIPAの発売時期と被ったので真っ先に飲みに向かう。
長い列を待ってついにアメリカのブルワリーブルーパブで最初のビールを飲む。その最初の1杯がPliny the youngerだなんてもう頭がおかしすぎる。
後にこの話をした現地のビアギークから天才と呼ばれることになる。
本格的にアメリカでの飲酒方法を覚えた。
2012年 とりあえずアメリカに行きまくる期
アメリカでも特にオレゴン州ポートランドのビールがいいと知り出国。
年に数回ポートランドへ行く。
同じ場所に何度も行ったのにはいくつか理由があるんだけど、何度行っても足りないくらいのブルワリーの数と車がなくても動ける街だったというのが大きな理由。
車の免許がなくても行ける街を探した結果ニューヨークにも単身乗り込んだ。
泥酔して深夜の地下鉄に乗ったりペンキ塗りたての餌食になったりとプチスリリングな経験をする。
2013年 ついに免許を取り羽ばたいた
バンドをやっているのに拒み続けてきた車の免許を取りに行った。
アメリカに行ってすぐに気づいたことが理由。車でしか行けないブルワリーの方が多いという事実。
車がないと始まらないという日本の都会では考えられない現実を目の当たりにしてようやく免許を取った。車でアメリカを移動したいという動機で。
免許取得後、車のこともよくわかってないのにすぐに行動した。
ミネソタ〜ニューヨーク間7000km
オレゴン〜バンクーバー周3000km
アトランタ〜色々回って〜アトランタ15000km
確かそんな感じ。免許とって若葉マークつけるようなやつがやることではない。オイル交換も3回くらいした。雪道も走った。この頃から行動力バケモノを自覚し、ただただこのままアメリカに飲みに行ければいいなと思っていた。
2014年 アメリカ横断ウルトラ飲酒からの地獄
死ぬほどアクティブに動いたおかげでアメリカでの運転はお手の物になっていた。
慣れた頃が一番危ないよってみんな言うけど。
アメリカにも慣れたまさにその頃、事件を起こし某施設へ入所。いくらポジティブでもちょっと応えた。
その時のことをざっくり話すと入国5日目で逮捕。7日目に交通事故。9日目でクレジットカード及びスマホ盗難被害。
2ヶ月くらいアメリカにいる予定だったのに頭の頭でイベント盛りだくさん。
色々と助けてもらって現金だけでロスからニューヨークへ飲みながら車を走らせた。
その時は確か総距離20000km弱だったと思う。アメリカでの運転歴が地球1周を超える。
冬のブルックリンを裸足で歩いたり違法物の運び屋をやらされたりしながらも無事帰国かと思われたが最後の最後でえげつない車上荒らしに遭い商売道具を盗られる。
アメリカひどい。
2015年〜2019年 アジア期、バンドでウロウロ期
アメリカに入国できなくなったからさてどうしよう。何もアメリカだけにビールがあるわけではないと我に返り興味の矛先をアジアに変えた。
この年から運良く毎年バンドで海外公演のスケジュールが入ったので前乗りしては現地のビール探訪をすることが日課になっていた。アジアにも結構いいビールがあると知り、やはり年数回足を運ぶ。
当時ロシア人とバンドをやっていたのでロシアにも行く。モスクワも相当レベルが高い。
アメリカに行けなくなったのも何かの縁ではないかと無理矢理方向転換し、やはり幅広く世界に飛び立たねばと感じるようになる。
2020年〜 コロナ
終わった。
どこにも行けなくなった。せっかく自由な生活してるのにどこにも行けない。
クヨクヨしている場合ではないので原点にかえって日本のブルワリーに再注目し始める。
この10年で日本にも良いブルワリーが多くできたこともあり、ビールは現地で飲むのが正義である初心に立ち返るともう少し国内も掘り下げないといけないことに気づく。
そして今に至る。
こんな感じです。大雑把ですが詳しく書こうとすると本を出版できそうなのでいつかリリースすることを目標にこれからも止まらずにビールを追いかけてみたいと思います!
全国津々浦々どこかに出没しているので会った時は色々お世話になりますのでどうぞよろしくお願いします!