こんにちは。前回の投稿とは打って変わってのんびりのほほんな記事でも書こうと思った次第です。
だっちょです。
僕は言葉遊びが結構好きで、うまいことを言ったり聞いたりすると「おおっ」と体が反応してしまうくらいです。
早い話がダジャレ好きです。
社交性のない人間が突如発するダジャレほど怖いものはありませんが、若い時から結構好きだったりもします。
ダジャレを極めていくと謎かけが得意になったりもしますが、今回はこんなパーソナルなことを言いたいわけではなく…
言葉を知ることの大切さを語って見たいと思います。
よくある言葉遊びの代表格としてふと思いついたのが、京都言葉の嫌味問題。
実際はないのかもしれませんが、
「良い時計してはりますなぁ」が「退屈だなぁ」と言う言葉に置き換わるというアレです。
嫌味とはいえ、この仕組みを理解できる人は言葉の奥に潜む様々な意味を読み解く能力があると言って良いと思います。
さらには、これがネタであるのか、実際に使われているのかまで知っている人はさらに経験値が高いということになります。
学があるとか経験値が高いとか、そうやって人をランクづけすることは正義ではないことは前提として、こういった言葉の裏の意味を感じ取れる能力を「持つ者」と「持たない者」の会話には気まずさやすれ違いが生じるでしょうし、トラブルにもなりかねません。
その能力を持っていた方がいいとか持ってない方がいいとか正解もなく、TPOに応じて相手が不快に思わない対応ができれば、その時の会話においてはそれが正しいと言えるのかもしれません。
対人コミュニケーションを充実させるには、言葉を知っておくと有利に働く場合がある!と言ったことを語ったところで、事態を空想世界インターネットに変えましょう。
誰かしらが何かをやらかした。
そんなネット記事にはいつまで経ってもくだらないリプがつけられています。
ネット記事とか知らない人に絡むのなんて文字であろうとナンパ、声掛け行為と同等であることはまず知っておくべきで、相手が怖がるかもしれない、誰かが傷つくかもしれないと言う懸念は必ずすべきです。
そんな下らないリプ欄を見て楽しんでしまう人間もお恥ずかしながら同格の人間性と言わざるを得ないのかもしれませんがね。
特にTwitterなどで目立つのは極端な意見。
例えばこんな投稿を流用させてもらいますが
界隈で有名な医師が、時事ネタについての発言をしています。
著名な人がこの類の発言をするのもどうかとは思いますが、それも個人の感想なので様々な評価があることでしょう。そしてこのリプ欄には
”じゃあトイレ風呂は女性用ですね”
”豊胸してください”
”そのタイプが一番怖いですやめてください”
”面白いです!”
などの返信がついていますが、本心で言ってる?ネタで言ってる?どっちなんだろう。
本心を思わせる本気度を示す人もいれば、どうせネタだろうとネタ返をする人もいますが、本当はネタじゃなくて真に受けてる人もいるのではないか…
そもそも投稿した本人がネタのつもりか本心で言っているのかさえわからない中で、安易に声掛けをしていくなんて…普通します?みんなするんですかね?
もし投稿者が「返答者から誹謗中傷されたので全員を調べ上げ訴えます。本気です。」と後になって言ったとしたらどう思う?そんなことないよって鼻で笑うかな?そんなこともありうるのではないかという想像を働かせた時、知らない人に絡もうと思うかな?
ひとが学ばないって言うのはそういうところで、時に起訴されて実刑でも喰らわないとわからないものです。
ともなれば処罰されないように裏で手を回せるような大きな権力を持った人間が学ばないというのも納得していただけるのではないでしょうか?ね?政治家さん?
ということで、言葉の意味とか本当に言いたいことの本質を知るために勉強とか常からのコミュニケーションはとても重要なのではないかと僕は考えます。
私は見た目がおじさんだけど女性です。という発言の裏には、こういうことを言う人がいずれ出てくるかもしれない警鐘とも取れるし、見た目で全てを判断することはルッキズムとも言われることを教えてくれたかもしれない。
この投稿から教訓にすればいいだけの話なんです。不用意な絡みはトラブルの元ですよー。
さて、みなさんはこんな言葉を聞いたことはありますか?
「アメリカは自由の国!!」
恐らく、、あると思います。
それなのにアメリカって法でがんじがらめなので自由なんてないんじゃないか?って感じてる人、どのくらいいるでしょうか?
そうなんです。アメリカって自由はほとんどありません。
子供を単独で外出させることもできないし、屋外飲酒だってほとんどできません。スピード違反をしてもすぐ裁判です。
法!法!!法!!!!
法治国家の最上級。何かにおいて法的に処罰されますし、常識はずれの訴訟が勝つ場合もあります。
どこが自由の国なんだよ。ふざけんな。
日本人はそう思うかもしれません。
いやぁ日本はマジで自由の国だよなぁ。
アメリカ人はそう思うかもしれません。
ではなぜゆえに自由の国と言われていると思いますか?
アメリカでは個人で起こした事は個人に責任が問われます。
例えば、日本のように飲酒運転で捕まった時に同乗者まで罪になるようなことはありませんし、母が子を殺してしまった時に家族である父にも責任があるのではないかと罪になることはありません。
当然、状況判断や民意というものは存在しますが、第三者が違うところで被害を被った場合、その三者が別件での訴訟を起こすだけです。
一番重要なことは、何をもって自由であるかという考え方や捉え方にあります。
こと日本では何かで逮捕されてしまったとき、履歴として残ってしまうことはもちろん、多くの人はそういう悪事に無縁だと思うので逮捕そのものが悪いと考えるでしょう。「あの人逮捕されたんだ」「やっちまったな」って思ったことある人いるでしょ?
その先に不起訴が待っていれば法的に悪者ではないということ忘れてません?
検察による不当な不起訴事件などもあるとは思いますが、不起訴になるということは罪が法律で裁かれなかった、無かったことになるという意味。
それでもなお、警察に捕まったのは事実だし、逮捕歴はあるし、と差別をしてしまうのが日本。
アメリカは…逮捕劇が日本以上に日常茶飯事すぎるというのもありますが、その人が逮捕されたからと言って自分には関係ないわけだし、その人の人格を非難する理由にはならないという考え方。
個人を尊重することもまた法律で定められているのか知りませんけど、たとえば警察とて何をするかわからない一市民として見ているので、彼らが勤務中にスーパーに寄ってご飯を食べようがパトカーを私用に使おうが問題がないわけです。
日本では消防隊員がコンビニに寄っただけでクレームです。なぜでしょう。
正義の組織を正義と崇めたり、悪の組織を悪と決めつけたりしすぎなので、正義の組織である警察にお世話になったら悪だし、悪の組織と仲良くしていたらその人も悪であるとそういった感情になるように教育されているんだと思います。正義は正義でなくてはいけないし、一度悪いことをしたら悪人と決めつける。そんな感じ。根付いてませんか?
良いことをする人も、悪いことをする人も、自分の感情、自分の責任で動くし、それを問われるのがアメリカにとっての常識。
つまり
捕まるような行為をすることだって個人の自由ということなんです。
言葉って面白いですね。いかようにも解釈できやがる。
捕まって損をするのは自分自身であるので、その後に不当な差別だって受けるかもしれない、それでも個人の判断において法を守ったりも破ったりもする。それを他人にとやかく言われる筋合いはない。という風潮はあると思います。判断の自由。決断の自由。
倫理を逸脱しても個人の自由が尊重されてるから銃乱射だって起こるし薬物乱用だってみなさまが思っている以上に当たり前に起こるんです。
理性的に法律を守る人の方が多いのは当たり前だし、悪いことをした人が悪い人とレッテルを貼られるのも当然ではありますが、それはその人個人の問題であることを覚えておいてください。
再度、アメリカが自由の国だと言われるその理由は、
個人が個人の判断と責任でどんなに良いこともどんなに悪いことをしても、それが個人が下した行動として尊重されるという理由からなのではと感じるところです。
人に迷惑かけたくないから悪いことはしたらいけないという日本の教育は基本的には良い側面が多いかもしれませんが、正義のために犯罪を犯す人の気持ちにとやかく言わないのが自由たる所以。
悪いことをしたら捕まるだけなんだから。
関係あるだろ!関係ねえよ!の区別の仕方が違うのかなと思います。
時事ネタで気になるのは、元国民的美少女と有名シェフの不倫問題。そもそも不倫という民事中の民事ネタなのでそれこそ言及してはいけない問題なのですが、お手紙が流出していますよね。その部分を今回の不倫問題の一部と捉えるのか、全く関係ない問題と捉えるのかが重要だと思います。
不倫問題において証拠のように上がってしまったお手紙を流出させた人が必ずいて、そいつが正義のためにやったのかはさておき、元国民的美少女さんと有名シェフさん当事者のプライバシーを侵害したことに変わりはありません。
当事者である人間は、自分の騒動とは別に流出させた人がいるのであれば大いに訴えを起こすべきなのですが、
叩かれている人間が訴えを起こすなんてけしからん!何様だと思っているんだ!
という一部のくだらない輩が必ず出てきます。
そういうところです。自分に関係ないところに不用意に口を出す人間がいて、それが民意として報道されたりする
これのどこが自由なんですか?
たとえば悪者として検挙された人間にだってその過程で訴えを起こしたいことがあれば訴えを起こすことを尊重すべきだし法的に問題もないはずです。
日本では良くも悪くも法で裁く前に民意が裁くような行為が目立つし、それに翻弄されている人間も多いし、世間体的に自由が少ないんです。
日本的自由、アメリカ的自由、どっち国民性が良いのかはさておきですけど、人のことに口を出すなら自分がどんな訴えを起こされてもいいと覚悟をした上でやりましょう。
こんなことになるとは思いませんでしたという訴えは流石に通りませんので。
よく考えれば当たり前かもしれないことを、ちゃんと想像して行動できるのか。安易な行動しかできないのか。どっちになりたいですか?
この類のネットリテラシー問題について想像力が乏しい人が非常に多いと感じるので、僕としては以前より日本は精神的貧困国であると断定し続けてきました。
ネットでの話はいずれ現実へとリンクし、些細なネットでの嫉妬が実際の友達とのトラブルにもなってしまうかもしれない。それはそれは悲しいし馬鹿げてます。
くれぐれもネットに踊らされないように。
こんな調子で「なぜアメリカが自由の国と言われているのか」をかいつまんでお話したところ、某ビール関係者の重鎮から一杯奢ってもらったことがあるので、おそらくこの話はタメになる話だと信じていろんなところでお話しさせてもらっております。
あまり考えすぎるとストレス溜まるだけなので、誰が何をしても怒らず動じずの生活している方が長生きできますよ。
怒ったり叩いていいのは対国家だけですからね。お忘れなきよう。
最後に皮肉めいたことを付け足すと、某連立与党が掲げているスローガンに
小さな声を聞く力
というものがあります。
小さな声も聞いてくれるんだ!応援しよう!と考える前に、
小さな声を聞く力があればそれは素敵です。小さな声を聞く力を行使できたらいいですね。
こんな言い回しにも取れるものだと疑うべきです。
その点、NHK党がNHKをぶっ壊すとはっきりした物言いをしたのは支持された理由の一つだったのかなとも感じるところです。
自民党のスローガンなんて「皆さんとともに」だからね。
皆さんと共になんだよ。皆さんと共に我々も税金を納めますので増税しますって意味?
「声をかたちに」なんてスローガンもありましたね。
これは何?声を3Dプリンターで造形するってこと?
最終的にこんな物言いをされても文句が言えないのが言葉の難しいところであり曖昧でずるいところです。
政治家は権力をもって言葉を操り、それっぽいことを言うだけの仕事がメインですから、くれぐれも言葉の言い回しとか真意を見逃さないように生きていきましょう。