親愛なる友人がこの世を去ってしまった
バンドでいうと
KULU/KULUというバンドを経て
tronというバンドをやっていた
高橋道晃さん、通称ミッチーさん
もう20年以上の知り合いになる
かなりフワフワしたゆるい人で
怒ってる姿は多分みたことがない
飲みに行ったり遊びに行ったり色々あった
思い返してみると
最後にディズニーランド行ったのミッチーさんとだったな
仕事終わりのノリで
行くかって話になって
ランドとシーをハシゴしてビールだけ飲んで帰ってきた
そんな贅沢な時間を過ごしたのが懐かしい
長らくギターを貸していたこともある
酔って指を引きちぎってしまい
片手が包帯でぐるぐる巻きの時に
衝動買いしたPRSのギター
ミッチーさんのトレードカラーでもあった赤が素敵なやつ
レコーディングに使うかもってことで
長い間貸していた
そのまま借りパクられても良かったし
自分が死んだらこのギターだけはミッチーさんへと
これだけは譲れない遺言として考えていたりもした
ふとLINEの履歴を見返してみた
ちょうど一年位前に突然連絡をくれて
元気か聞いてくれた
特に用事はなさそうだったけど
久しぶりにビデオ通話とかして会話を懐かしんだ
その数日後
実は倒れて入院してたという知らせ
連絡くれたのは入院前だったけど
自分の体調のことわかってて
なんとなく連絡くれたのかなって
とある症状があって生活に制限が出るけど
不摂生はいけないよねって会話をした
つい2ヶ月前にも
共通の知り合いの話がしたくてLINEでやりとりした
そして今日
その共通の知人から
訃報の知らせ
ミッチーさんの上司に当たる人の投稿で発覚したとのこと
その上司の方も実は20年来の知り合いで
方々への連絡などでお疲れのようだったが
失礼承知で即電話した
彼への電話も20年ぶりくらいになるのに
電話した瞬間「○○(だっちょ本名)くん?」って言ってくれて
まだ登録しててくれたんだと驚きつつ
近況とかミッチーさんの状況とか聞いた
詳しくは差し控えるけど
近親者から見ると
自由にのびのびと生きていたらしく
生き切ったんじゃないかなと
そう見えたりもしたらしい
でも悲しい
11月にライブ来ませんかって誘おうって決めていた矢先だったし
もっとジジイになってからも
機材の話とか病気の話とかしたかった
会いたいと悔やんでも時すでに遅し
どういう感情でいればいいものか
ミッチーさんは
僕の人生の中で数人いる重要人物なんだけど
なぜかといえば
だっちょって名前をつけてくれた名付け親だからね
冷静に考えると
40代になってだっちょですって言うの
ちょっと小っ恥ずかしいけど
もうそれで慣れちゃってるから
だっちょって言われることも名乗ることも違和感がない
これからも
だっちょを名乗っていくからねミッチーさん
ご冥福お祈りします